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CONCEPT

写真や動画を通じて人々の人生を豊かにします。

記憶に残る写真・映像を提供します。

感動を与えたい。

感情を揺さぶりたい。

価値あるものを創造したい。

誰かの役に立つ人間でありたいと願っております。

FOOD

小さかった頃、自分がプロのカメラマンになるとは想像すらしていませんでした。ところが今現在「料理写真を美味しそうに撮影する。」そんなことを生業として20年以上が経過しております。

写真学校へ入ったのは半分成り行きでした。県立高校を落ちてしまい、滑り止めで入った高校が日大の付属校。進学先を決めるとき、行けるところは日芸の写真学科くらいでした。大学ではそれなりにマスコミに憧れ、広告代理店にでも行こうと思っていました。ところが留年してしまい、卒業するときはバブルが弾け就職氷河期に突入。なんとか就職できたところが出版社の旭屋出版でした。

旭屋出版は飲食店の経営雑誌を発行していました。すぐに仕事を任されましたが、不良写真学生だった私は写真が下手で冷や汗の連続でした。それでも自分の拙い写真をたくさんの人に見てもらえる。それはすごく刺激的で誇らしいことでした。次第に楽しくなり、これは天職じゃないかと思うまでになりました。

2016年に「ポケットコンシェルジュ」契約カメラマン、2019年に「ヒトサラ」の契約カメラマンになりました。

WEDDING

人生とは予測のつかないもので、後厄の43歳の時、坐骨神経痛という病気にかかってしまいました。坐骨神経痛とは、痛いを超える超激痛に襲われるとても恐ろしい病です。この病気のせいで半年くらい、まともに歩くことさえ出来なくなりました。そんなこんなで仕事も減ってしまい、なんとか家族を養わなければならない私は、今までやったこともないブライダル撮影の分野で活路を見出そうとしました。門を叩いたのは「サトミノワールというエージェントでした。「サトミノワール」はラグジュアリーホテルのブライダル撮影を多く手がけているエージェントです。私の担当となったホテルは「東京ステーションホテル」と「シャングリ・ラ ホテル」でした。めちゃくちゃハードな撮影ですが、月に5000枚、7000枚シャッターを切っていると、自然に写真の腕前が上がっていきました。その技術は料理写真にフィードバックできたりもしました。「人間万事塞翁が馬」そんな言葉を思い出したりしました。。

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